雪の上州武尊山

奥本 威(埼玉県川口市)当会 会員

2022年4月号 山と渓谷 読者紀行に掲載 される。


二〇二二年一月九日。今年の初登りは上州武尊山だった。

 二本目のリフトを降り、正面の斜面下でザックを下ろす。アイゼンを装着しヘルメットをかぶり、しばし逡巡する。

 ザックの脇にあるストックを出そうか、ピッケルを使うか。膝の調子はわるくないとはいえ、けがの後であり、トレーニングも不十分な状態。仲間の足を引っ張るのは心苦しい。

 途中までストックを使い、核心部分だけピッケルに持ち替えればいいのではないか。

 私の姿を見てか否か、「男性班と女性班にわかれていきます」「最初からピッケル出してね」と、リーダーの鶴見さんの声がした。

 鶴見さんは全員の準備の状況に目を配っている。私の不安を感じ取ったのか、それとも「しっかりしろ」との鼓舞だったのか。とにかくそれで心は定まり、ピッケルを取り出した。

 男性班の先頭は渡邊さんだ。彼は、子どものころから近所の山を走り回っていたという。東京の出版業界で働いていたが、山好きが高じて地元の測量関係の会社に転職したらしい。

 リフトから先はいきなりの急登で、しかも雪が深い。渡邊さんは今シーズンの雪山は四座目らしく、ひるむことなく登っていく。

 ひるがえって私は今シーズン初めての雪山で、足元に不安がある。数歩でふくらはぎが張ってきた。攣らないよう慎重に足を進める。

 ひとつ急登を越えたところで先頭が止まった。私も足を止め、振り返ると後続の人との間隔が開いている。「少し休める」と安堵する。後続を待ち追いついてきたところで、歩行を再開。攣りそうな感覚はない。このほんのわずかな休憩で、体が順応したようだ。

 傾斜が緩くなり、少し開けたところに出た。右手に小さな雪庇が見える。なんとなく既視感があり、前方を見ると高くそびえる険しい頂が見える。剣ヶ峰だろう。

 ここが前回、撤退を決めた地点に違いない。風は強いが今日はまだ晴れている。そのときは剣ヶ峰まであとほんの少しのところ、と思っていたが、今それを見ると、ここからまだ一登りある。

 

 二一年三月十五日、沼田ICを降りて見た武尊山は、麦わら帽子のような雲をかぶっていた。

「吹雪くかな」と鶴見さんがつぶやいた。まさか、とは思ったが口には出さなかった。

 川場スキー場の駐車場に着いたとき、雪は降っていないが風が冷たかった。リフト券売り場で聞いた話では、「前日、前々日と降雨。今日は風は強いが昼から晴れる」ということだった。

 下は晴れていたが、二本のリフトを乗り継ぐとそこは雪だった。アイゼンをつけピッケルを持つ。

 前日は雨だったのであれば凍っているはずだ、というのが鶴見さんの読みだった。ストックはザックの中に収納する。急登の斜面は凍っていたが、すぐに雪にかわった。スキー場は雨だったのかもしれないが、その上は雪だったのだろう。

 やや緩い斜面に出たところですっかり前が見えなくなった。ホワイトアウトだ。強風に氷の礫が混じり、顔に当たって痛い。目出し帽を鼻の上まで上げ風に背を向け佇む。地図を確認すると剣ヶ峰まであと少しだ。せめてそこまでは行きたいと思うが五メートル先も見えない。

 ふいに「ツエルトでやり過ごそう」と言われた。私はその時までツエルトが何なのかさえ知らなかった。この中にいるだけで、風雪を避けことができて、暖が取れるのだと驚き、同時に安堵した。

「登山をする者はツエルト、つまり簡易テントを必ず持っていないといけない」と鶴見さんに教えられた。

 風の音がすごい。十分くらいして「あと三十分粘ってだめだったら撤退しよう」ということになった。

「剣ヶ峰を越えたあとの下りが危険なんですよね」と聞きかじりの情報を口にすると、「その先の平原で道迷いの可能性が高い」「雪山で遭難する原因のひとつには、そういう理由もあるのだ。武尊山直下の急斜面手前にも平原があり危険だ」との返答。さすが鶴見さんは歴戦の勇者、いや登山家だ。

 三十分以上経った。鶴見さんから時間を聞かれ、九時四十分だと伝えた。本当はもう少し時間が過ぎていたが、結果は同じだ。

「もう少し粘りたい、行きたいという気持ちもわかるがこれが最後ではない」

「これから何度でも来る機会はある」

「撤退を決断するほうが難しい、これは勇気ある撤退だ」

「来年、また計画しよう」

 彼が語るその一言一言がズシリと腹の底に響いた。

 

 約一年経って再計画した武尊雪山行には、山岳会のメンバー十三人が手を上げた。過半数がこの一年間に入ってきた新人メンバーだ。

 剣ヶ峰はナイフリッジになっていて、怖かった。強風にあおられてバランスを崩そうものなら、奈落の底へ落とされる。体を少しかがめ重心を低く保ちながら歩いた。

 剣ヶ峰からの下りは「核心」だといわれているが、雪が深くアイゼンの刃がよく刺さる。谷川岳の下りの方が滑って危なかったなと思いつつも、慎重にかかとから足を下ろしていく。下りてから振り返ると、メンバーが蟻のように列をなしていて微笑ましい。

 剣ヶ峰から武尊山まではアップダウンがきつかった。音を上げるメンバーもいたが、私はむしろ楽しんでいた。先週登った伊豆ヶ岳のアップダウンに比べればきつくはない。先頭を歩く渡邊さんは所々で現在地を確認している。

 正午、登り始めて二時間強で武尊山に着いた。

 先に到着していた仲間と拳を合わせ、山頂の真ん中へ。山頂は曇っていて風も強く寒かったが、私は幸せな気持ちに包まれていた。

 達成感もあるが、それよりも何よりも、気心知れた仲間と登れたことこそ、かけがいのないものだった。

 登ってくるメンバーの顔はゴーグルなどで隠されているが、かすかに見える目は笑っている。景色も見えないのに、歓声が上がる。

 先ほど音を上げていた仲間に「お疲れさん」と声をかけると、他の仲間が私の膝を撫でて「この膝よくもったね」と労をねぎらってくれる。

 山頂標識を囲んで集合写真を撮る。「武尊は私と奥本さんが去年計画したんだよなあ」。鶴見さんがガハハっと笑う。なにかおもしろいことを言おうとしたが、口から出てきたのはみんなへの感謝の言葉だけだった。


1、おいら羚羊  山の仲間よ
  
  清き流れの  湯檜曽のほとり

  歩む靴音たくましく  そんなやつだぜ

  羚羊  羚羊  羚羊

2、おいら羚羊  岩の仲間よ

  結ぶザイルに  命がかよう

  雪の前穂が目にしみる  そんなやつだぜ

  羚羊  羚羊  羚羊

3、おいら羚羊  雪の仲間よ

  何処まで行くのか  風雪越えて

  明日を夢みて今日も行く  そんなやつだぜ

  羚羊  羚羊  羚羊

4、おいら羚羊  ゆかいな仲間よ

  可愛いあの娘が  笑顔で送りゃ

  なんで登らず帰らりょうか  そんなやつだぜ

  羚羊  羚羊  羚羊

羚羊山岳会28周年記念として発行された「山のうた」歌集があります。
昭和54年2月3日に発行されたようです。この歌集の中にズンドコ節の替え歌が有りましたので、ご紹介します。

1、夜の足利プラットホーム  可愛いあの娘が涙で止める
  止めて止まらぬ 俺らの心  山は男の 度胸試し

2、泣いちゃいけない笑顔におなり たかがしばしの別れじゃないか
  恋しいお前の泣き顔見れば ザイルさばきの手がにぶる

3、粋なチロルよ ザイルを肩に 行くぞ谷川 ちょいと一ノ倉
   仰ぐ岩壁 朝日に映える 今日はコップか 滝沢か

4、行こうかもどろか 南稜テラス 戻りゃ俺らの 男がすたる
   行けばあの娘が 涙を流す 山の男は 辛いものよ

5、歌うハーケン 伸びるよザイル なんのチムニー オーバー・ハング
   軽く乗越し 眼の下見れば 霧が流れる 本谷へ

6、急な草付 慎重に越せば やっと飛び出す 国境稜線
   固い握手に 心も霧も 晴れて見えるよ オキの耳

7、右に西黒 左にマチガ 中の一筋 西黒尾根を
   今日の凱歌に 足取り軽く 馳けりゃ土合も 早く間近

8、さらば上越 湯檜曽の流れ さらば土合よ 谷川岳よ
   またの来る日を 心に誓い たどる列車の 窓の夢

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